冷戦後の中国の動き 3
対外面でも中国が採用した輸出主導型戦略は前述のように労働集約的な軽工業、紡績・繊維部門など、やはり国外市場の民需を誘因としたものにほかなりませんでした。
こうした地方や企業の自主裁量権の拡大方向を基調とした民需主導型の経済戦略を採用する国家は、アメリカのように軍需を基礎とした産軍複合体の展開によって経済運営を行う国家と比べた場合・・・
経済発展にはたしかに有利に働くものの、軍事産業部門の育成のためには決して効率的ではありません。
ですから今日、軍装備のハイテク化の課題をきわめて重視するようになった中国は、他の経済分野は別として、少なくともハイテク産業の育成の面では地方や企業の自主権を制限して突出的に中央の主導性を強めたのです。
そして、軍需を重視した戦略転換を図らざるをえなくなっているのです。
・・・もっともこうした戦略転換は、趙紫陽が経済政策の実権を失った1988年夏の段階で、ただちに全面的に現れたわけではありませんでした。石塚孝一氏によると、当時の時点ではなお、ハイテク兵器が有する重要度は、湾岸戦争終結後の今日ほど鮮明にはわかっていなかったということもあります。
しかしそれと並んで重要だったのは、やはり87年12月のINF全廃条約の調印に始まり、88年5月15日にはソ連軍がついにアフガニスタンから撤兵を開始するなど、この時期に急激な緊張緩和の状況が生じています。
それが中国の世界認識をなお楽観論に押し止める働きをしていたのです。